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演奏会の履歴

第31回~第40回

第21回~第30回

第1回~第10回

有史以前

ことの発端は、1986年ころの京大オケの東京先輩会パーティでの会話であった。その当時、そのパーティは毎年秋に行われており、余興としてモーツァルトのシンフォニーをやっていたりした。その演奏ぶりは、微笑ましいというしかないものだったが、もうちょっとまじめに練習してみようではないか?という声もでるようになった。それを背景に、翌春、先輩会のドンであったH氏が京大オケのOBでもある東京交響楽団主席フルーティスト佐々木さんらに声をかけた。やがて発足打ち合わせが1987年6月12日の夜、渋谷で行われた。集まったのは10名の面々(今のメゾンで生き残っているのは、柳生のみである)。

その会では、こんな話になった。
――どうせやるなら、「響き」というものをとことん突き詰めてみてはどうか。演奏会も前提とせず、とりあえず、まず音を出し合うところから始めよう、何ををやるにせよ、弦が基本だから、まず弦楽合奏を――。 
そして音楽監督/佐佐木佐、指揮者/斉藤栄一の体制が決まった。(斉藤氏は現在、水星交響楽団の指揮者である)
あとは団の名前。
――東山弦楽合奏団でいいじゃない?
そう、われわれは最初、「東山」と呼んでいたのである。なぜ東山か?京大が京都の東山連峰の麓にあったから。(みんな東京に出てきてはいるが学生の頃の風景が心象風景となって忘れられないのだろう)
そしてH氏が提唱する「辛口の音楽」とやらめざして、1、2月に1回ペースで集まっては練習をし、終わればおでん屋で酒を飲むのを繰り返した。
だがやがて、それは無目的な散漫の危険と隣り合わせだということに気づく。そして演奏会という目標を決め、名前もアンサンブル・メゾンに変えた。

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